2007年
  
8月4日(土)〜8月9日(木)
                   5泊6日


 山梨県(甲府ワシントンプラザホテル・・・甲府市)
 長野県(立山プリンスホテル・・・大町市)
 長野県(ホテルメトロポリタン長野・・・長野市
 群馬県(湯畑源泉大東館…草津町)
 栃木県(鬼怒川御苑…日光市)

 

  レンタカー    ポルテ(トヨタ)
    走行距離
      1日目 145km
      2日目 173km
      3日目  88km
      4日目 148km
      5日目 166km
      6日目 200km
               合計 920km


8月4日
 今年は羽田空港利用なので久しぶりに旭川空港出発。出発は遅れたが羽田到着は定刻で、レンタカーの手続き(営業所まで行くのに時間がかかる)を終えて、12:30頃出発となる。過去のいろいろな経験からまずしっかりとナビを設定して首都高へ。にもかかわらず途中分岐点を間違えて新宿で一般道に出てしまう。それでもすぐ元に戻ることができた。当初の予定では、中央自動車道談合坂SAで昼食のつもりだったのだが、かなり遅くなってしまいそうなので、石川PAに変更して、一応事前に調べてあった「八王子ラーメン」を食べる。刻みタマネギが特徴だということで、珍しいこともありそれなりのものではあったが、やはりPAのラーメンだ。その後勝沼ICで一般道に出て(前回松本方面から一宮御坂ICまで走っていたのでそこまでいくとつながったのだが…)、ワイナリー見学。きちんと調べていなかったこともあり行ったところはよりによって「サッポロワイン」。池田ワイン城と大きな違いもなく気分的には単なる時間のロスだ。しかも運転するから試飲もできない。そんなわけでここには長居は無用だ。今年の旅行のメインの目的である「風林火山博」の時間が削られるのは困るということで、まっすぐホテルにチェックインし、夕食もすましてくるつもりでタクシーで会場へ行く。しかし、これが意外と大したことがなく(今までの経験だと、城などの近くに特設会場を作って展示というパターンだったが、今回は何かのビルの中に特設会場として作っていた)、あまり時間がかからなかった。結局時間を余して、これなら「善光寺」くらいは行けたかな、という感じである。はじめからワイナリーをはずせば、武田神社などすべて見学できたかもしれない。やはりいつも通り計



  ↑ 羽田から首都高に乗りいざ出発

         ↓ 石川PAで食べた「八王子ラーメン」
画がずさんである。まあ、せっかく車も置いてきたことだし、ということでそのビルの出口付近にあった飲食コーナーで地ビールを飲む。残念ながらこれもイマイチで、駅前の「信玄公像」で写真を撮って、甲府城跡に行ってみる。ここは武田信玄にには直接関係がないし、今は単なる公園になっているので特におもしろくはない。その後、夕食を

↑ 甲府駅前にある「武田信玄公の像」
食べるつもりで考えていた店まで行ってみるが(けっこう遠かった)、営業しているようではあるものの、ほとんど人気がない雰囲気で入る気がせず戻ってきた。我が家は「活気のある店」でなければ嫌なのである。そんなわけで駅に向かう途中で見つけた居酒屋で一杯飲みながら食事をしてホテルに戻る。一応混んではいて活気はあったがメニュー的に不満が残り、隣の店の方が良かったかな、と残念な気持ちが残ってしまった。未練を残してホテルまで戻る途中、どこかに良さそうな店がないかと探したが、今ひとつ積極的になれる店もなく、お腹も結構ふくれていたのでコンビニに寄っておとなしくホテルに戻る。県庁所在地だからまだ何とか体裁を保っているが、「活気がある街」という感じではないようだ。写真を撮り忘れたごく普通のビジネスホテルだが、LAN回線が完備されているのでちょっとインターネットなどをやって2日目の観光に備えて早めに寝る。
 

8月5日

 前日寝る段階での天気予報ではイマイチで、朝起きたときもどんよりしている感じでちょっと残念に感じながらの朝食(ホテルの印象はそれ程良くもないのだが、朝食のご飯が美味しかったので好感度がけっこうアップした)だったのだが、旭川と同じ盆地特有の天気のようで、出かけるときには晴れて暑いくらいになった。まずは、時間の関係で昨日省略した「甲斐善光寺」「武田神社」へ行かなければならないので早めに行動を開始する。善光寺は時間が早いこともあるのか人が少ない。一度は本尊が祭られたとは言っても今はやはり「本家」ではないのだから仕方がないのかもしれない。それに比べると武田神社には多くの人がいた。やはり自分たちだけではなくNHK大河ドラマの影響なのか、直接武田信玄に関係するところには人が多いのかもしれない。その後「武田信玄公の墓」に寄ってみたが、こちらは誰も人がいなかった。ナビがなければ行けなかったかもしれない。早めに行動したこともあり、あまり時間のことを考えずにのんびりと行動したが、もう見るところもなく次へ移動だ。
 次は北杜市の「風林火山館」というまさしく今年の大河ドラマのロケに使われたセットに向かう。前日の「風林火山博」がちょっと物足りない感じで終わったので期待していったのだが、行ってみると入場料が安い(300円)。今までの経験上、入場料があまり安いと内容もそれに比例、ということが多かったのでここはどうかなと思ったが、やはりそれなりのものであった。テレビ撮影のためだけに作成した物としては造りもしっかりしていて立派なものだが、
 ↓ 甲斐善光寺

 ↓ 武田神社。朝早くからけっこう人が
そのセットの建物以外に何も見るものがない。「堀」の外側に並ぶ売店群の中に展示コーナーがあったが、前日の「風林火山博」を見てきた者にとっては何もないに等しい。そんなわけで、予定ではここでもう少し時間を使うはずだったのだが意外と簡単に終わってしまった。しかし、甲府市内で費やした時間は、元々は前日に済ませる予定だったものだから、その後の日程にとっては良い結果となった。
 
 ← 武田信玄公の墓。誰もいなくてひっそりとしている
           風林火山館入口。武田屋敷のセットだ。→




 写真左右それぞれ上から
   「上社前宮」「上社本宮」「下社春宮」「下社秋宮」
        の鳥居と幣拝殿。左の一番下は秋宮神楽殿    

 その後は諏訪へ。宗教心も何もない自分が何のためにいつも神社や寺ばかり行くのかよくわからないが、今年は武田信玄がメインの旅行で、その信玄が信仰する「諏訪大明神」であるから、一応全部見ておこうということで、ここでは諏訪大社の「上社前宮」「上社本宮」「下社秋宮」「下社春宮」とフルラインナップで拝んできた。「諏訪大社」という一つの神社(?)に4つもの「社」があるのはとても珍しいと思うのだが、その関係はよく知らない。「上社」と「下社」という名前から、何となく「上社」の方が地位が上という印象を受けるのだが、実際に行ってみた感じでは「下社」の方が造りも立派で人が多い。特に「上社前宮」などは非常に寂しい場所にあって、ほとんど人もいない。写真の鳥居から本殿まで100m近く歩くのだがその間に普通の民家があったりするのだ。帰ってきてから調べてみると、「上社」のご神体は現在は「前宮」にはないのだそうだ。また「下社」のご神体は時期によって「春宮」と「秋宮」を移動するのだそうで、正月の時期は「秋宮」にあるのでこちらで初詣が行われるらしい。実際に行った印象としては「下社秋宮」が一番のメインかな、と感じる雰囲気であったのだが、そういうことも関係しているのかもしれない。
 元々、今日の昼食は「上社」を見た後に諏訪湖畔の店で食べるという計画だったのだが、朝に予定外の観光が入ったにもかかわらず、「風林火山館」がイマイチだったおかげで、予定通りの順番になった。諏訪名物とかいうわけではなく、ちょっとおしゃれな店でランチということなのだが、昼食後はその近くにあったガラス館(どこにでもありますね)に寄って若干のおみやげも仕入れた。その後「下社」に行く前に「高島城」に行ってみたが、ドラマにある「諏訪城」とは基本的に違う城で、しかも最近復元されたというような新しい感じだ




ったので、外側からちょっと眺めるだけで終わった。「下社」に行った後は、これで今日の目的はすべて達したということで、いざ今日の宿泊地である大町温泉へ。岡谷ICからまっすぐ豊科ICまで高速を使い、前回松本に行ったときに寄った「大王わさび農園」への道を走ることになった。ICから安曇野付近の道路は非常に混み合っていて流れ

左 チキンのトマトソース煮(ランチ)         右 サーモンのバター焼き(ランチ)

が悪かったが、それでも4時半頃にはホテルに到着してまずは温泉へ。夕食はレストランだったがバイキングではなくセットメニューで、これといって特徴のあるものではなかったが、生ビールが格別に美味しく(単に汗をかいたからということではなく注ぎ方が上手で泡が美味しいのだ)、印象度はやや○だ。信州ということで夕食時に予想通りそばが出たが、そばアレルギーそのことを言うと予想しなかった「枕」のことまで気を遣ってくれた。枕は座布団でもいいので、別な料理を持ってきてくれるとうれしかったのだが…。



8月6日
 今回の旅行で今日だけが自然を見る観光で、この日だけは天気がよいことを祈っていたが、朝起きた時点から真っ青な晴天。高地ということもありまぶしいくらいだ。そんなわけでいつになく早い取り組みで、8時にホテルを出発。こういう場所だからもっと早くから行動している人もたくさんいるが、それでも全体的にも早い方である。扇沢まで車で行って(事前の調べで無料駐車場があることはわかっていたが、やはり駅から結構遠いのでケチらず有料駐車場に入れる)、関電トロリーバスで黒部ダムまで。電車と同じ方式で電源を取って走るバスだが思ったより速い。バスだから連結することもなく5台ほど連なって走った。なぜ電車でなくバスなのか不明だ。黒部ダム駅に
到着し、最初の予定ではここではまっすぐ黒部湖駅に行って登り切ってから帰りにゆっくり見るつもりだったのだが、予定よりかなり早かったので先に観光することにした。「展望される方はこちらの階段をお上りください」という
案内で向かった展望台へは、いきなり駅から220段の階段で結構きつかった。まあそこまではまだ良いが、その展望台よりも放水の迫力を感じられるという、下の方にある新展望台(ダムをやや見上げるような形になる)までかなり降りてそのあとダムの方面に向かってまた上る、という強行ルートがきつかった。私は普段ある程度運動をしているから大丈夫だったが、妻は「けっこう足にきた」と言っていた。上の展望台からの景色が格別に素晴らしいというわけでもないので、体力に自信がない人は黒部ダム駅から展望台ではない方に行って、下の「新展望台」だけにすると良いだろう。小学校の頃に習った「黒部第4ダム」という名前で覚えていたが、正確にはダムが第4なのではなく「第4発電所のためのダム」ということらしく、実際に現地に行くことによって正しい知識が身に付くということを再認識させられた。
 その後、黒部ダム駅から黒部湖駅まではダムの上を歩いて5分程度で、その後ケーブルカーで黒部平駅に到着する。このケーブルカーはかなりの傾斜だが(平均32度らしい)、すべて地中を走るもので、全く景色は見ることができない。そうして着いた黒部平駅からの展望もなかなかではあるが、やや中途半端だ(見える範囲が少ない感じだ)。そして次はロープウェイで大観蜂まで行く。かなりの幸運といえるほどの真っ青な空ですばらしい景色であった。大観蜂はロープウェイ駅のスペースしかない所で、展望台から景色を見る以外に何もすることがない。その後の室堂まで行くと、ハイキングコースがあったりするのだが、特にハイキングはしなくてもいいし、往復で3000円余分にかかる(ここまでの往復でも5600円くらい)ということもあり、ここで引き返す。結局帰りのゴンドラが来るまでひたすら写真を撮っていた。ロープウェイの乗り場に行くと、ある程度の人数がそろったところで係の人が黒部ダムのことについて説明を始め

 
 ↑ 豪快に放水する黒部第4ダム
 ↓ 黒部ダムの石碑。「第4」とはどこにも書いていない。

 

た。慣れているようでみんなを笑わせながら話を進めていく。そしてもうすぐゴンドラが来る、という段階になってそれまで説明に使っていた写真集を買いませんかという話になった(途中からある程度は予想できる話し方で、みんな「やっぱりきたぞ」という感じで笑っていた)。若手の係員がどこからかたくさん出てきて売り始めたので、何となく

勢いで買ってしまった(1000円)。だが、話もおもしろかったし、なかなかきれいな写真がたくさんあって、損をした気分にはならなかった。黒部平駅では上るときにたっぷり時間があり、周りも見てしまって特にすることもないので大人しくケーブルカー乗り場に並んでいた。上ってくるときはとても混んでいて、短時間ではあったが立つ羽目になってしまったのだ。おかげで帰りはゆっくり座ることができた。
 当初の計画では黒部ダムのレストランで昼食の予定だったのだが、朝の行動も早く、その後も順調に進んだため時間が少し早いのと、あまり美味しそうなものがないということで、途中で昼食という感じでもなくすぐにトロリーバスに乗って降りてきてしまった。扇沢駅のレストランにも今ひとつ食べたいものがなく(旅行も3日目くらいになると、昼食にパスタなどの普通の物が食べたくなるものだ)、大町の市街地で食べることにしてすぐに出発する。しかし、大町の市街地には入ってみようかと思うような店がなく、仕方なく走り続ける。結局少し遅い時間になってしまったが、「ぽかぽかランド美麻」という道の駅で「信州みそラーメン」を食べる。そばが売りのようだが私には無縁だ。特別美味しいラーメンだったわけではないが、「信州みそ」自体が美味しいと感じるラーメンであった。本当はパスタが良かったのだが、ラーメンもその一種だ。

写真上
 黒部平駅の屋上から大観峰方向を見る。左側の白っぽい(雪が残っている)山を越えたところが「室堂平」。その隣(手前)の上の方に「大観峰」のロープウェイ駅がある。

写真下
 黒部ダムの堰堤から黒部湖を見る。遠くに見える山の名前はわからない。

↓ 黒部平の石碑

↓ 黒部湖と黒部平を結ぶ地中ケーブルカー

↓ 電車と同じ構造のトロリーバス

 
↓ 善光寺本堂。本道再建300年記念行事の準備が進められていた。



↓ 何なのかよくわからないが、大勧進


 

↓ 雨が収まってから出かけた創作居酒屋の料理。
 どの料理もなかなか美味しかった。特に写真中央左の
 「本マグロのカルパッチョ」はソースが美味だった。

 
 そして長野着は予定より早く、まずは善光寺へ。山を下りてから何となく少しくもが多くなったような気がするが、それでもまだ暑い。下調べが足りなかったためにやや遠いところに駐車して歩くことになったが、「仁王門」というところをくぐる由緒正しい参拝路を歩き、周りにはいろいろな土産物店などもありそれはそれで良かったことにしよう。板張りの「外陣」という部分までは無料だが、「お戒壇めぐり」をするために内陣券を買う(結局この券で3カ所見ることができるのだが)。券を買った段階では「お戒壇めぐり」がどんなものか知らなかったのだが、本尊の下(地下)の暗闇を一回りするというものだった。あれほどの暗闇を今まで経験したことがなかった。右手で触る壁だけが頼りである。あそこまで暗いところを歩いてくると何となく御利益があるような気がした。その後資料館を見て、「経蔵」というところで八角の輪蔵を回した。なかなか重いもので、動き始めるまでにやや力が必要だ。これを一回りさせるとそれに書かれてあるお経全てを読んだことになるのだそうだ。それから「大勧進」を通って参拝終了。近くの店で若干のおみやげを買ったりしたが、職場の同僚にお酒を買った店では何と1000円以上買い物をすると2時間くらい車を置かせてくれたとのこと。知っていれば駐車料金がかからなかったのに…。ちょっと残念。
 さて、まだ時間があるので、オリンピックが行われたエムウェーブに行ってみることにした。長野に負けた旭川市民としては非常に興味があるところだったのだが、広大な敷地と大きな建物があり、誰もいないとても寂しい状態に「やっぱりそうなんだなぁ」と何となく納得する。旭川でもきっと同じだっただろう。   ↓ エムウェーブの入り口にあるプレート
 そんなわけでいよいよ今日の宿に向かう。到着直前になって急に強風が吹き、駐車場に車を入れてチェックインを済まして部屋に入ったときには猛烈な雷雨となった。一部被害があったほどだったのだが、夕食に出かけるときには雨風ともに収まった。本当に天気には恵まれている。



 
 さて、雨が上がったので夕食を食べに外に出る。温泉地でない都市部に泊まるときにはいつも外の居酒屋のようなところで夕食にしている。事前に調べてあった店は別のホテルの2階にある店で、宿泊したホテルにもレストランはあるのにわざわざという感じもする。しかし、これがなかなか良い店で、次から次へと地元の客が入ってくる人気店であった。創作系の料理もなかなか美味しく、飲み物のメニューが非常に豊富であった。ちなみにホテルを出るのが少し早かったので(駅の中を探検してみようということになったのだが、探検するほどではなかった)、駅の横の店(先払いのカフェのような店)で生ビールを飲んだのだが、この中ジョッキの量が意外に多く、ちょっと腹に堪えた。
 食後は近くのコンビニで寝酒と、ホテルに戻ってから妻用


のスィーツを買って部屋に戻る。LAN完備の部屋だったのでインターネットで翌日の観光ポイントなどを検索したのだが、うまく検索できずにすぐ諦めた。その後お酒を飲みながら旅行記を書いたりして就寝。

 
8月7日
 今年は旅行が近くなってから忙しい日が続いたため、今日あたりから計画が怪しくなっている。とりあえず川中島合戦場跡に行く予定はあったが、昨日までイベントが開催されていることを知らなかった。道の駅で見かけたリーフレットに「入場料50円割引券」が付いていたのでわかったくらいである。TV放映ではまだその辺りまでいっていないが、そろそろ信玄と謙信の戦いが始まる頃である。考えてみれば山本勘助も討ち死にするこの場所は、今回の旅行のメインと言ってもおかしくない場所であった。もっと研究しておくのだった。そんなわけで向かったのは長野ICの近くにある長野市立博物館で開かれていた「川中島の戦い2007」という企画展で、これまでの風林火山に関するどの特設展示よりも見応えがあり、かなり長い時間をかけて見て回った。博物館を出てすぐ隣になる八幡社では、中で見てきたばかりの「川中島の戦い」が実際に行われた場所ということもあり
 
知らず知らずのうちに真剣に見ていた。特に「三太刀七太刀の像」は本当にこんな風にあったのだろうかと思わせるものであった。まるでTVドラマのような感じである。そんなわけで事前の情報が全くなかったこの場所が今までで一番充実して時間もかけることになった。    ↓ 「三太刀七太刀の跡地」                  八幡社の鳥居 ↓

↑ 太刀を振り上げる上杉謙信(右)と軍配で応戦する信玄

 

 
↓ 山本勘助の墓
 
 その後「山本勘助の墓」を見に行ったのだが、これがなかなかわかりにくく、ナビだけでは太刀打ちできないような場所であった。というのも昔は善光寺参りの主要な参道であったところが、現在は堤防の内側になって建物を建てられないのだそうだ。堤防の内側であるから、ナビが「目的地付近です」と言っても全くわからないはずである。近くまで行ってからの小さな標識を頼りに車を置いて歩いていくと、河川敷のようなところに墓があった。周りは畑のようなところで、通常はそこで作業している方がボランティアとして語りべのをしていた。いつもならそういうのはパスするほうなのだが、今回は語りべの方が熱心に話しかけてくれたのでついつい聞き入って、かなり詳しく
話を聞くことができた。さらには、元々は墓のすぐ横にあった「信州柴阿弥陀堂」が今は墓を守ってきた吉池さんというお宅の敷地内にあって、見せてくれるというので行ってみたところ、ここでも非常に詳しく話をしてくれて、思わぬ収穫であった。
 そんなわけで、この一帯を出て次に向かった時は昼を過ぎていた。

 

 

 



↑ 勘助の冑などが納められている阿弥陀堂

 この後は川中島の戦いで信玄の本陣となった海津城跡(その後松代城となった)に行ったが、天主以外の部分が復元されているものの、門をくぐるとただの芝生公園という感じですぐに見学が終わってしまった。真田宝物館は定休日で、食事をしただけでこの地を離れる。                 ↓ 軽井沢からの白糸ハイランドウェイにある「白糸の滝」
 当初の予定ではこのあと上田・小諸と回る予定であったが、川中島古戦場で思いの外時間を使ったので(満足できたから全く問題ないのだが)全て省略することにした。小諸も上田も観光地として比較的有名だが、武田信玄の時代とはあまり関係がなく、今回の旅行のテーマからははずれているので省略しても良いのだ。
 今日の目的地は草津温泉で、こちら側から行くと軽井沢を通過することになる。軽井沢は旅行の目的には全く無縁であるが、せっかくここまで来ているので一応ちょっとだけ寄ってみることにした。あまり時間もないので、「軽井沢銀座」だけにしたのだが、ものすごい人で、イメージしていた軽井沢の雰囲気は全く感じることができなかった。何となく京都の清水寺の坂や浅草の仲見世のような感じがして、ハイソな感じはゼロだ。少しがっかりしてせんべいと(この段階で浅草だ)、ミカドコーヒーのモカソフトを食べただけで終わりにした。
 軽井沢からは「白糸ハイランドウェイ」という有料道路を走ったが、途中に「白糸の滝」というところがあったのでちょっと寄ってみた。迫力はないが細く繊細な滝がたくさん並んでいるという感じでなかなか綺麗であった。
 これでもう寄るところはなく今日の宿泊地である草津温泉へ。到着したホテルは予想とはかなり違い、フロントの雰囲気も部屋も気分的に盛り下がるものであった。そんな部屋にいても仕方がないので目の前にある「湯畑」を見に行く。木枠がずらりと並んだ光景は圧巻であるが、その中をお湯が流れているのを見ることができると思ったのにビニールのカバーのようなものがかけられていてちょっとがっかりだった。湯もみのショーも時間が合わず、周りをぶらっと歩いただけでホテルに戻った。これを源泉としているホテルということで、風呂






↓ 「宙の鑑」の部屋

に期待したが、内湯も露天も狭い風呂でこれもちょっとがっかりだ(お湯の質はよいのだが…)。そんなわけで残る期待は夕食だ。今回の宿泊プランは部屋食でもバイキングでもなく、食事処で創作料理というもので、これがダメだったら「草津はダメ」という印象で終わるところだったが、この「宙の鑑(そらのかがみ)」という食事処が、雰囲気も良く、そして料理も全て満足できるものであった。コース料理なのだが、メインの料理ともう一品が2種類から選ぶことができて、2人で別なものを注文したので非常にたくさんの種類を味わうことができた。我々が入った部屋は外のバルコニーのようなところに出られるようになっており、後で調べるとそこで食事をすることもできるようだ。ただし、外は部屋ごとのしきりがないので落ち着かないかもしれない。この食事処の大きな特徴として、お酒のメニューが驚くくらいたくさんあることだ。日本酒(全国の地酒もある)や焼酎がたくさんあるのはもちろんのこと、ワインもたくさんあって、値段も比較的リーズナブルである。今年は銀婚旅行であるわりには、ここまであまり贅沢していないので、奮発して「シャブリ」を飲むことにしたのだが、これが何と5000円で非常に特をした気分であった(後で調べると、ルームサービスで頼んでも同じ値段であった)。翌日の朝食もなかなかで、これだけ食事に力を入れるなら、部屋と大浴場を大改装すれば高級ホテル
として人気が出るだろうに、ともったいない感じであった。
 食後は、せっかく気分が良くなったのにあの部屋では…ということで夜の湯畑を見に外に出る。するととても人が多い。周りにある土産店にもたくさんの人がいてとても活気がある。店に入って何かないかと物色したり、湯畑の横にある「足湯」入ったりして部屋に戻り、明日に備えて就寝。食事だけは満足できるホテルだった。
 ↑和風のワインクーラーに入ったシャブリ

 ← 前菜(左上)に始まり、デザート(右下)までのコース料理の数々 →

           ↓ 入り口から見た雰囲気も良い         夜の湯畑 ↓







 

 
8月8日
 今日は今回の旅行のテーマである「風林火山」には全く関係がないルートである。羽田空港を利用したので、東京に戻るルートを考えている間に頭に浮かんだ「日光」だ。わざわざ日光に行くとも思えないので良いチャンスである、ということなのだ。それ以外に特別な意味はない。まあ、「華厳の滝」は一度見たいと思っていたし、やはり「東照宮」を一度見ておくのも良いだろう。 
 というわけで、一路中禅寺湖へ。距離的には120km程度だからそれ程でもないが高速道路はなく、部分的に混み合うところもあり、さらには峠道のような部分も多く、結構時間がかかった。中禅寺湖に着いたらまずは昼食であるが、調べてあった店まで行くと「団体貸し
切り」ということでランチはできなくなっていた。どうも昼食はうまくいかない。仕方なく、「ハンバーグが美味しい店」という看板の店に入りハンバーグカレーを食べる。まあ、美味しいという点に大きな偽りはなかった。
 さて、食後は「華厳の滝」だ。エレベーターがあるということは事前に調べて知っていたが、乗らなくても下りていけるのだと思っていた。しかし、徒歩で下りることができるのはほんのわずかで、迫力あるポイントまではエレベーターに乗らなければならないようだ。地中を100m下るというエレベーターに乗るのだが、右の写真のように、「○階」ではなく「○○m」という表示になっている。他では見たことがない表示がとても珍しかった。100m下ってエレベーターを降りると、数十mの地下道がある。外の温度とは違い非常に涼しい(寒いくらいだ)。そしてその通路を抜けるといきなり轟音が聞こえてきた。まだ滝には結構距離があるというのにものすごい音と水しぶき(霧?)だ。周り一帯全てがマイナスイオンの固まりみたいな状況だ。空が青くなくて写真が綺麗に撮れなかったのが残念だが、ここはやはり写真ではなくビデオで撮影するべきだろう。静止画では迫力が伝わらないのが残念だ。
↓ 予想よりかなり迫力ある「華厳の滝」

↓ 地下90mという表示のエレベーター
↓ 東照宮の表参道
 もっと近くまで行って見てみたいと思うほど迫力ある光景でも、これ以上は近づけないのでまたエレベーターで戻る。というわけで次は「日光東照宮」だ。高校時代までは歴史が大嫌いでだったのだが、なぜか歴史小説なども読むようになり、戦国時代はなかなかおもしろいと思うようになったのだが、徳川家康には特に興味がない。それでもやはり「東照宮」くらいは見ておきたいと思うものである。境内はとても広く、全部を見る元気はないので、メインの東照宮へ向
かう表参道を歩き、参拝した程度だったが、見るところは結構多くてそこそこの時間を使った。まあ、今日は「華厳の滝」と「東照宮」がメインだからそれでも問題なしだ。「陽明門」や「本殿」の金箔は、さすがに古くなっているもの
の、できたときはさぞ絢爛豪華だっただろうな、と思わせる造りであった。それだけの絶対権力だったのだろう。今の日本では、そういう権力というのはあり得ないだろうな、というのが感想だ。

←左 陽明門   右 本殿



↑ 宮島の厳島神社(日本)

↑ ホワイトハウス(アメリカ)
 さて、当初はこれで今日の観光は終わりだったのだが、そんなに早くホテルについても仕方がないし、ということで調べたところ、「東武ワールドスクエア」という施設があるようなので、そこに寄ることにする。他に「日光江戸村」とか「猿軍団」などがあるが、江戸村は北海道の「伊達時代村」のようなものだろうということでパスだ。
 この「ワールドスクエア」だが、世界中の建造物を25分の1スケールで忠実に再現したものを集めたところだ。それぞれの建物には人間(7cm)が集まっている様子など、かなり細かいディテールまで表現されていて、予想をはるかに超える見応えであった。横に人間が立ってみるとその小ささがよく
わかるのだが、そういう写真は撮らなかった。説明書きを見なければどこの何という建物かわからないものもあったが、名前自体を知らないというものはなく、全て回ると、何となく世界旅行をしたような気分になれる。とにかく造りが非常に細かくて、細部までしっかりと作られているのが印象的だった。2500円という安くない入場料ではあったが満足できた。
↑ 清水寺(日本)

↓ パルテノン神殿(ギリシャ)                    ↓ 故宮(中国)                          ↓ 凱旋門(フランス)

 この「東武スクエアワールド」ではたくさん写真を撮りまくったが、ここにはそんなにたくさん載せられないので、別ページで紹介しておこうと思う。細かい造りがわかってもらえるかわからないが…。こちらでどうぞ。
 そういうわけで時間をつぶすことができ、いよいよ最後の宿泊地である鬼怒川温泉だ。ホテルは外観的には問題もなく、フロント・ロビーも昨日に比べると格段に良い。しかし部屋はそれ程でもなく(3館体制の一番良い方を選んだのだが)ちょっとがっかりだ。大浴場は男子と女子がかなり離れていて、これは改善して欲しいものだ。夕食はこの旅行で最初で最後の部屋食だったのだが、はっきり言って「がっかり」する内容であった。食事がイマイチだったこともあり、総合的には昨日のホテルの方が満足度は高くなったかもしれない(どんぐりの背比べ的だが)。
 このホテルは「FREE SPOT」に対応していて無線LANが使えるはずだったが、使えるのはロビーだけで部屋では使えない。仕方なく夜にロビーに行って掲示板のチェックと、明日の行動予定を考えるために少しだけインターネットをした。あとは最終日に備えて就寝だ。

8月9日
 さて今日は最終日。この日の行動をどうするかが、最後まで決まらず、旅行中に決めるということになってしまった。毎年必ずどこか陶芸に関する場所に行って焼き物を買って帰るのが恒例となっているので、今年は「益子焼」に狙いを定めた。ナビがあるので急に決めても簡単に行くことができる。数軒回って何とか気に入ったものを見つけ、お土産も仕入れて、これで今年の旅行の予定は全て終了だ。
 レンタカー営業所には17:00少し前に到着すれば良いが、この後は特に予定はないし、羽田空港なら早く着いても時間をつぶせるだろう、ということでまっすぐ帰ることにする。ナビによると到着予定は15:30頃だ。いつもナビよりかなり早く着くが、今回はほとんどが高速道路の区間だから、ほぼ予定通りだろう。昼食を摂っていなかったので、SAに寄って軽くスナック類を食べ、あとはひたすら走る。


↑ 首都高の大渋滞。2kmに1時間半かかる。
↓ 今年のレンタカー「ポルテ」。内装がイマイチだった。

 順調に走って、常磐自動車道から首都高へ。6号三郷線から中央環状線と分岐して向島線に入ってまもなくだった。「江戸橋JCTまで6km渋滞」という表示が出た。それでもしばらくは流れていたのだが、両国付近でついに車がストップした。以前、京都から伊丹空港に向かうときに47kmの渋滞に遭って飛行機に乗れなかったという経験をしているが、今回はそんなに距離はないし、かなり余裕を持ってきているから大丈夫だろう、とタカをくくっていたのだが、車はいっこうに進まない。最初は左のような写真を撮っていたのだが、徐々にそんな余裕もなくなり、いよいよこのままでは間に合わなくなりそうになってきたのだ。
 間に合わなかったらシャレにならないので、レンタカーを近いところで返して電車等で空港に向かうことにして営業所に連絡する。一番近い営業所は水天宮というところにあり、箱崎ICから出るとすぐだそうだ。ところがその箱崎ICがなかなか近づいてこない。結局車がストップしてから箱崎ICまでのわずか2kmに何と1時間半もかかることになってしまった。一般道に出てからはナビを頼り何とか営業所に到着。どうやって行ったら一番早いかと聞いてもイマイチ要領を得ないが言われた通り、半蔵門線で乗り換えて、という方法をとろうと水天宮駅に行って駅員に聞いたら、人形町駅から浅草線で空港直通の京急線に乗る方が良いと言われて、そちらに急ぐ。結構距離があり、はじめからわかっていたらタクシーに乗ったのに、と思いながら重い荷物を持って汗だくになりながら何とか電車に乗り込む。時間的には結構ギリギリだ。だんだんと4年前の悪夢が頭によみがえってくるが、電車に乗ってしま
ったからには間に合うことを祈るしかない。結局空港に到着したのは17:40頃(飛行機は17:55発)で、大急ぎでチェックインして荷物を預けようとすると、もう時間がないので搭乗口で預けてくれとのこと。さらにはこの急いでいるときに限って身体チェックの時にベルトの金具が反応してしまう(往路の時は何でもなかったのに)。しかも羽田−旭川便は搭乗口が非常に遠い。走って走って、何とか飛行機に向かうバスに乗ることができたときにはもう汗ぐっしょりであった。ちなみにチェックインはもうほとんど最後のようだったらしく、妻とはバラバラの席になってしまった。あんなに余裕を持って出発したはずだったのに…。反省点があるとすれば、首都高の堀切JCTから中央環状線・湾岸線というルートを選ばなかったことくらいで、これは何とも言い難い。「フジテレビを見ながら行こう」というような軽いノリで走っていたら湾岸線に向かったのだが…。まあ間に合ったから良いことにしよう。
 旭川空港に着いてから途中でラーメンでも食べて帰ろう、ということになっていたが、行くつもりだった店がもう閉まっていて、「帰ってからあるものを食べよう」ということでまっすぐ帰った。あっちこっち走る元気は残っていなかったのだ(本来は羽田空港で食べるはずだった)。
 4年前の反省が生かされた、とは言い難いが、何とか間に合ってあの悲劇の再来だけは避けることができた。今後東京・大阪の空港を使うときには最終日に車を使わない計画を立てることにしよう。

 

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