2002年
    
8月1日(木)〜6日(火)   5泊6日


 福井県(ホテルリバージュアケボノ)
 石川県(金沢エクセルホテル東急)
 石川県(多田屋)
 富山県(富山エクセルホテル東急)
 岐阜県(ホテルアソシア高山リゾート)

  レンタカー    ヴィッツ(トヨタ)
    走行距離
      1日目 115km
      2日目 180km
      3日目 240km
      4日目 185km
      5日目 175km
      6日目 175km
                 合計 1070km

 



 ↑ 越前大仏がこの中に収まっている。
          大きいことは大きいのだが・・・歴史を感じない。

 

8月1日
 例年になく遅い出発で、旭川9:00発のスーパーホワイトアローで千歳空港へ。今年は結婚20周年記念の旅行ということで、奮発して「uシート」に乗ってみたが、ちょっと広い程度。千歳空港では1時間以上時間があるのでここで昼食にする。予定ではラーメン道場だったのだが、気分的にラーメンではなくカレーを食べる。小松空港に着いたのは14:20で、その後レンタカー(3年連続でヴィッツだ)を借りて15:00にいざ出発。北陸自動車道で丸岡ICまで、その後県道・国道で越前勝山へ。奈良よりも大きな大仏があるということで期待して行ったのだが、何と全く人がいない。いったいこれは?と思いながら見て回ったのだが、何となく納得。大きいことは大きいのだが、特別な歴史があるわけでもなく、新しく作ったというイメージだった。平成初めのバブルの頃にできたようだ。次は越前大野へ。城があるのだが看板もなく、面倒なのでパス。そのまま福井市に向かい、ホテルにチェックイン。大浴場があるということで決めたホテルだが、まあまあのレベルだ。すぐに夕食を食べに繁華街へ。平日ということもあるのだろうが何となく寂しい。インターネットで調べてあった店も、1時間半程度の間に誰もお客さんが来なかった。その後居酒屋で「岩ガキ」という巨大な牡蠣貝に出会う。ホテルに戻って大浴場(街中にあるホテルだが最上階にSPAがある)で汗を流し1日目終了。
 
8月2日
 ドライブの掲示板で「ぜひとも越前海岸へ」というアドバイスをいただいたので、予定を変更して東尋坊まで遠回りすることに。その前に、「北の庄城址」へ向かったが、どこにも看板がない。細い道で適当に止まってちょっと歩くとうまい具合にあったのだが、どうも福井市は観光のための案内板が少ないようだ。それにしても柴田勝家に関するものがあれしかないというのは寂しい感じだ。その後高速で武生ICまで走り、越前陶芸村に寄って越前焼のカップなどを買う。その頃から雲行きが怪しくなり、降雨確率70%の予報通り、越前海岸は豪雨だった。ややがっかりしながら東尋坊目指して北上していると、徐々に空が明るくなり、東尋坊に着いたときには雨はすっかり上がった。天気が良いとまではいかないが、少し天気が荒れて風があるくらいの方が東尋坊は雰囲気が出ていいかもしれない。断崖を見たあとは昼食にかに丼などを食べて金沢に向かう。予定では加賀ICから高速に入るつもりだったが、カーナビがどうしても金津ICからの道を案内するために、ブツブツ文句を言いながら従う(何度も違う道を走ったのだが・・・)。金沢市街に入って兼六園にまっすぐ行ったのだが、標識で直進になっているのにカーナビは曲がれとうるさい。途中からナビを無視して走ったが、ちゃんと兼六園に着いた。今年のナビはどうも信用できない。と文句を言っていたのだが、ホテルに戻るときは途中道を間違えてしっかりナビのお世話になった。具体的な建物を指定できるときはやっぱり有効だ。兼六園と金沢城公園で開かれていた「利家とまつ展」を見てホテルにチェックインし、少し休んでから尾山神社と武家屋敷跡を見に行く。尾山神社の神門が修理中で残念だった。武家屋敷跡もこれといって見応えはない。そのまま予定どおり「蛇の目寿司」に夕食を食べに行く。今日は2次会なしでホテルに戻って2日目終了。

       


 


  ↑↓ 北の庄址の柴田勝家像。探すのが大変だった。




 
  ←↑ 自殺の名所、と言われるが、安全に下の方まで
               降りていくことはできる。迫力はある。

↓ 金沢「兼六園」。空が青ければもう少しきれいだと思うのだが・・・。        ↓ 尾山神社。金沢城は元は尾山城と呼んだらしい。            
 

    
 
 

8月3日


 
 ↑ まだ人がいない「ひがし茶屋街」



 ↑ 「見附(みっけ)〜恋路」

   

 ↑大興奮の「石崎奉燈祭り」。写真では興奮を伝えきれない。

            


  
 

 まっすぐ能登に向かう予定だったのだが、せっかく金沢に来た割にはあまり見ていないということで、少し早めに出て東茶屋街へ行く。しかし、時間が早すぎてまだ開いていなかったため、ぶらぶらと付近を散策する(このあたりはもともと散策がメインだが)。その後近江市場に寄ってから、金沢駅のおみやげコーナーに行きお土産を少しと、今日の昼食用に笹寿司と太巻きを買って出発。ここでもナビにブツブツ言いながら能登有料道路で終点の此木ICへ、そこから珠洲道路という一見有料道路のような名前の道で珠洲に向かう。途中の道の駅で笹寿司を食べたが、特にうまいというほどのものでもない。海岸に出て最初に見附海岸へ。「見附(みっけ)から恋路へ」というキャッチフレーズで若いカップルを誘っているようだ。その後細い道を走って能登鉄道の終着である蛸島へ。「珠洲焼」というあまり有名ではない陶器が目的だ。歴史は古いらしいが、途中なぜか途絶えてしまったために無名らしい。マグカップをお土産に2つ買って、いよいよ今日の宿である和倉温泉に向かう。ここでもひとしきりナビに文句を言いながら、ちょっとだけ能登島に渡ってから温泉に到着。今年の旅行のメインとも言える今日のホテルだが、ホテル側の都合で予約したのとは別の部屋が用意された。普通なら文句を言うところだが、予約した部屋よりひとり1万円も高い、このホテル最高の部屋となれば話は別だ。2人で使うのがもったいないくらいに広い、目の前に海がある素晴らしい部屋だった。大満足。
 さて、旅行に出る前から知っていたことだが今日は和倉温泉でお祭りがある。でもホテルから歩いていく距離ではないし、普通は夕食時にかかってしまうだろうと、半分あきらめていた。しかし、話を聞くと8時にホテルから送迎バスが出るし、祭りは深夜12時頃までやっているとのこと。「石崎奉燈祭り」というこの祭り、「キリコ」という巨大な御輿のようなもの(2トンだそうだ)を約100人で担ぎ、最高の盛り上がりだ。家と家の間の狭い道を「サッカサイサイ」というかけ声とともに練り歩く姿が迫力満点だ。帰りのバスの時間がなければいつまでも見ていたかったというくらい盛り上がった。ちなみにこの祭りのためだけに、ここの通りは電線を地中に埋める工事をしたそうだ。
 ホテルに戻り興奮もさめやらぬ感じだったが、今日2回目の温泉に浸かり3日目終了。





   
         
                        
          ←↑ 正規の値段では泊まる気がしない「多田屋 椿庵利休」
 

8月4日
 当初は昨日行く計画だった輪島に、我が家としては珍しく8:30という早い時間に出発する。目的はもちろん「朝市」だ。有料道路も使い約1時間で輪島到着。朝市を歩き回りお土産も買う。「キリコ会館」では昨夜見た祭りの興奮を思い出し、再び朝市へ。昼食を予定していた「食キング横丁」が見つからず、最近できた雰囲気の店でラーメンを食べる。北海道にありそうな味だった。輪島を後にして今日の宿泊地である富山へ。今日は珍しくナビに文句を言うこともなくスムーズに走る。最初の予定とかなり変わったので、富山には遅い時間に着いてもいいつもりだったが、意外と近いもので3時頃には富山に到着する。そこで、ホテルに向かう前に郊外にある「富山市民俗民芸館」というところで売薬資料館を見る。入場券を買うと券と一緒に懐かしい紙風船をくれた。その後ホテルにチェックインし、すぐに町へ出たがなんと雨が・・・。仕方なくデパート内にある本屋で富山のガイドブックをチェックする。その結果予想通り富山城付近ぐらいしかないとわかり、もう一度外に出てみると雨は上がっている。路面電車に乗って富山城へ向かったのだが、城に近くなるとどうもお祭りの雰囲気が。今日もお祭りか?と思いながら歩いていると「佐々成政鉄砲隊」のパレードがあって、さらには富山城公園内ではなんと「yosakoi」のステージをやっているではないか。公園を出てyosakoiパレードをしばらく見て、インターネットで調べてあった店で夕食をとる。夕食といってもいつも通り飲みながらの店である。その後パレードの続きを見てから富山城公園で最後のステージを見る。2日連続でお祭りに当たるとは思っても見なかったが、おかげで暇になることもなかった。途中のコンビニでお酒でも買って帰ろうと思ったのだが、3軒行ってどこにもお酒がなかったのであきらめてホテルに戻り4日目終了。

  


 ↑ 輪島の「キリコ会館」。巨大なキリコが立ち並ぶ。
 


 ↑ 富山城をバックに「佐々成政鉄砲隊」のパレード。
 


↑ 山の上にある世界文化遺産、「相倉合掌造り集落」。

 


↑ 五箇山最大の合掌造り「岩瀬家」。2階以上の床が恐い。



↑ 萩町城跡展望台から見る白川郷(萩町合掌造り集落)。


8月5日
 この日も9時頃チェックアウトし、まっすぐ富山ICへ。北陸自動車道と東海北陸自動車道で五箇山ICに行く。世界文化遺産に指定されている3つの集落のうち、相倉・菅沼合掌造り集落が五箇山にある。一番大きいといわれる「岩瀬家」に入ってみたが、内部は5階建てになってる。床(天井?)は隙間だらけでちょっと恐い感じだ。五箇山のあとは有名な白川郷へ。ここにもう一つの世界文化遺産である萩町合掌造り集落があり、ここが最も大きな集落であるために有名になっている。実際にはどこで見ても「合掌造り」という様式は同じであるから、新たな感動はないが、萩町城跡展望台から見るとなかなかの景色だ。歩いて上ったのだが車でも行けるようで、「こんなことなら・・・」と思った。白川郷からは飛騨高山に行くのだが、観光バスなどはみんな国道156号線を南下し、158号線で高山に向かうようだ。地図で見ると、それよりも360号線−41号線で行った方が近いようである。というわけでこちらに向かったのだが、これがひどい国道だった。ここ数年の旅行で「えっ、これが国道?」という道は何度も走っているのだが、それよりもひどい道が延々と15〜6km続くのだ。ヴィッツの馬力ではオートマのローとセカンドしか使えない状態で走ること30分以上。大型車なんて走れるわけがないのだ。だからみんなこっちを走らないのだと今頃納得。まあ、そうこうしているうちに予定よりかなり早く(五箇山までを高速にしたため)、高山には15:00前に着く。そこでこの日は半分あきらめていた高山観光をしてしまうことに。あとになって、まずチェックインしてしまえば良かったということがあるのだが、非常に混雑している中ようやく駐車場を見つけて1時間強の観光をする。その後ホテルにチェックインしたのは17:00少し前。フロントで夕食のことを聞かれ、お目当ての飛騨牛天板焼きのことを言うと、「混んでいるので予約してください」とのこと。早速部屋に入って電話するとなんと「20:30からしか空いていない」という。迷ったが仕方なくそれで予約する。時間つぶしのために大浴場へ行くが、残念なことにサウナがなくそれほど時間をつぶすことができない。ビールを飲んだりテレビを見たりしてようやく時間に。普段は口にすることがないような「超霜降り」の飛騨牛サーロインステーキをコースで食べる。時間の関係もあったのかもしれないが、ちょっと胃にもたれたのが残念だったが、間違いなく美味しかった。波乱の5日目終了。
          
↓ホテルアソシア高山リゾート。
       


 
8月6日
 いよいよ旅行最終日だ。元々は前日に高山観光はできない計画だったので、今日の計画はまず高山観光だ。でも昨日見たからなぁ、と迷ったのだが、朝市というのもあるし「高山陣屋」も一応見ておくか、ということで再び市街地へ。運良く高山陣屋の隣にある駐車場が1台空いたので、車を停めて陣屋見学へ。あまり期待していなかったのだが、現存する全国唯一の郡代官所ということで、今まで見てきた武家屋敷や城とはちょっと趣の異なる施設だった。テレビの大岡越前で見る「お白州」などもあり、なかなか見応えがあった。そのあと朝市を見るが、これはまあそこそこ。というわけで、いざ帰路につく。東海北陸自動車道の飛騨清見ICから一路小牧ICへ。途中高速道路の標高日本一の地点を走る。関SAで昼食をとり、空港前のレンタカー営業所で車を乗り捨てて、空港に到着したのは14:00。予定より30分以上早く、時間をつぶすのに苦労する。今日はもう運転しないのでビールも飲んでしまった。ほぼ予定通りのフライトで千歳空港に到着し空港内で夕食。行くときはカレーだったので、今日はパスタにしたが、あまり時間がなかったので逆にすれば良かったと思った。
 今年の旅行は「金沢に行く」ということが決まってから、なかなか他のところの計画が進まず、終わってみれば無駄も多かったかもしれない。特に越前大仏は失敗だった。あれなら丸岡城を見るか、一番初めに考えた小松空港−東尋坊−金沢(泊)のほうが良かったかもしれない。唯一、越前陶芸村でいいカップを見つけたことが救いだ。天気も、雨に当たらずにすんだことは良かったが、最終日を除いて「青い空」には恵まれなかった。でも暑すぎなくて良かったのかもしれない。

↑ 現存する唯一の郡代官所、高山陣屋。

  大岡越前でおなじみの「お白州」。TVのように広くはない。↓

 

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